読書から、穏やかな心を

本を読み、感想を書くことによる癒しを届けます

仕事だけが人生になってはいけない

私は3年前、出産のため退職した。

看護師という看板を下ろした感じだった。

初めての子育ては楽しかった。

産婦人科と新生児集中治療室での勤務経験があり、子どもには慣れていたし、お母さんたちに育児指導もしていたので、育児を不安に思うことはなかった。

周りからは楽しているように見られたし、もっと一生懸命取り組まなきゃだめと言われた。

だんだん、そつなくこなせてしまうことに虚無感を感じていった。

今考えると、おそらく産後のホルモンの影響が大きのだとは思うけれど。

自分に価値があったのは「看護師」という仕事をしていたからであって、退職した今、自分は薄っぺらい人間で、何の価値もないーそんなふうに思ってしまった。

産後2か月で子どもを連れて就活した。

早く看護師として復帰しなければ…

早く自分に自信を取り戻したい…

ひどく、焦っていた。

そして娘が8カ月の時に復帰した。

復帰すると、自分は社会に必要とされているのだと思うことができ、自然と自信を取り戻すことができた。

仕事は大変だ。でも、これでよかった、そう思えた。

花

私はこのように仕事を中心に生きてきた。

しかし「生き方」を学ぶうちに、働くことに注力する生活に違和感を持つようになってきた。

『死ぬ瞬間の5つの後悔』著者のブロニー・ウェアは死が近づく患者の介護をし、死の床で聞いた後悔について綴っている。

家庭を顧みず仕事を優先してきた1人の70歳の男性は、気がついたときには家族を失っていたと死期を目前にしてこう振り返る。

 

仕事を辞めることが怖かった。地位が自分の価値を決めていた。

働きすぎたと後悔することになるような生き方をしてはいけない。

他人にどう思われるかなんて気にしなければよかった。

バランスを失わないようにし、仕事だけが人生にならないようにしろ。

 

ハッとした。

私は看護師であることに自分の価値を決めていた。

実際のところ、社会人になってから看護の勉強しかしてこなかった。

読書をしたこともないし、旅に出て何かを学ぼうとすることもなかった。

だから、看護師として働かなければ、本当に自分は中身のない人間だった。

そんな自分を打破したくて、ここ1年ほど前から看護以外の勉強をするようになり、ブログをはじめた。

するとどうだろう、「看護師」という看板がなくても、今の自分には十分価値があるのだと思えるようになったのだ。

上手な文章は書けないが、今こうして自分の思いを綴ることができ、誰かに伝えることができる。

そして、誰かの心に届くメッセージを送ることができているのだと確信している。

 

 

今、働きすぎていると感じている。

ナースコールは鳴りやまない。

常に走っていなければならない。

時間内に仕事を終えることができない。

家に帰れば、娘は私を求めている。

フルタイムで働く人から見れば、パートの私は余裕があるように見えるだろう。

専業主婦からは、子どもと離れている時間があるから、楽だよねと言われる。

ずっと人の目を気にしていたが、相手の価値観に心を奪われなくていいのだ。

人の大変さは他人が決められるものではない。

娘が私を必要としている今、「ママ」と呼ばれたら笑顔で返事をしてあげたい。

それには今の仕事はオーバーワークなのだ。

 

さらに著書では、こうも綴られている。

人生の意義は立派な仕事である必要はない。

何千人もの人を救う人もいる。一人か二人だけを助ける人もいる。どちらの仕事も同じように重要なのだ、と。

私は子育てに意義を感じられなかった。

たくさんの人を救う看護師としての仕事も尊いが、一人の人間の命を守り、育て上げる子育ても本当に意義のある仕事なのだと、著書を読みやっと気づくことができた。

全ては著書に答えがあった。

 

一人ひとり「働きすぎる」という価値観は異なる。

そして、働いていないことに価値を価値を見出せない人もいるかもしれない。

もしあなたが少なからずそう感じているのなら、一度立ち止まってほしい。

後悔なき人生のためのヒントが著書で見つけられるかもしれない。

 

死ぬ瞬間の5つの後悔

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