読書から、穏やかな心を

本を読み、感想を書くことによる癒しを届けます

仕事より家族を優先するということ

仕事よりも自分の健康や家族を大切にするとブログで発信してきた。

健康>家族>仕事、この順序を絶対基準としている。

優先順位がないと、どうしようどうしようと自分で判断することもできず、意志の弱い人、都合のいい人と思われ、自分の大切な時間が奪われ憔悴していく。

この優先順位を持たなかったころの私は、上記の通り憔悴していた。

では具体的にはどういう行動をとるようになったのか。

今日その価値観が自分の判断材料となった出来事がある。

雏菊


数日前から娘の咳がひどく、夜間も十分な睡眠がとれず、咳と同時に嘔吐してしまっていた。

昨日受診し、ステロイドの内服薬が処方され、夕方内服すると咳が鎮静化され娘は朝までぐっすり眠ることができた。

しかし、朝になるとまた咳き込む。

今日は出勤日だ。

出発前までに薬を飲ませたいが、娘は嫌がり薬杯を口元に持っていくも、口を閉じ開けようとしない。

ああ、時間がないのにどうしよう。

薬を飲まないで出勤してしまおうか。

でも、その場合娘は保育園で苦しい思いをしなければならない。

 

ハッとし、冷静になった。

時間をかけたら薬は飲ませることができる。

時間がないから焦って飲ませることができない。

私がやらなきゃいけないことは薬を飲ませ、娘の身体の回復に働きかけること。

職場は人手不足で猫の手も借りたいくらいだと思う。

咳くらいで休まないでよって思われるかな。

でも、私が優先したいものとは?

娘より患者さんに薬を飲ませることを選ぶ?

どちらも重要なことだけど、仕事より家族を大切にしたいと決めたはず。

私はその決めたルールに従い動いた。

 

お昼までに飲ませればいいと思えば、子どものタイミングをみて少しずつ飲ませた。

少し飲んではミカンを食べて、また飲んでは褒めてあげて。

1時間以上かかったけど、時間をかけてあげられてよかった。

ステロイドの効果があって、今気持ちよさそうに眠っている。

 

仕事より家族を優先する、それは口ではいくらでも言える。

大切なものを優先するには強い意志が必要だ。

そして、そう決めたからにはそのルールに従っていく。

少し前の私なら、薬を飲ませることを諦めて出勤しただろう。

職場で認められたかったし、迷惑をかける人と思われたくなかったから。

三つ子の魂百までとか、三歳児神話とか、それは信じていないし、母親が働くことに負い目を感じることはないと考えている。

実際娘は毎日「せんせいのうちにいく」といって通園を楽しみにしている。

ただ、子どもの具合が悪いときにはそばにいたいし、もし同僚の子どもがそういう状況であったとしたら「無理せず休んで。お互い様だから」と言ってあげたい。

 

もちろん仕事も大切だけど、バランスが重要なのだ。

上手くバランスが保てるのなら、小さな子どもがいても母親が働いていくことは可能だし問題はない。

しかし私の場合、娘は2歳で体調を崩しやすく、やはり毎回職場を休むことには心が痛い。

3月いっぱいで退職すると上司には伝えている。

私は退職を選択したが、それを勧めているいるのではない。

伝えたいことは、自分がどうしようか迷った時には、大切なものの順位を決めてそれに従い、自分にとってよりよい選択をしてほしいということ。

 

今日仕事を休み、娘のそばにいる選択をした今の気持ちは

「これでいい」

「母親としてやれることはやった」

自分の心に素直に生きていくことは、最も幸せな生き方なのかもしれない。