読書から、穏やかな心を

本を読み、感想を書くことによる癒しを届けます

子どもが求めているものは大人も同じ

私は子育てが大好きです。娘は2歳7カ月でまだまだ手はかかるし、毎日忙しいです。しかし、娘の行動に対して次はこうほめてみよう、この叱り方の方がいいかな?と考え実践していくことが楽しくて仕方ありません。子育ては最高のインプット、アウトプット、フィードバックのツールだと考えています。

今回は島村華子さんの『モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くした オックスフォード児童発達学博士が語る 自分でできる子に育つ ほめ方 叱り方』について感想を述べていきます。今回は「ほめ方」にフォーカスします。

さくら

安易な「ほめて伸ばす」には要注意!

「すごいね!」「○○ちゃん天才!」はい、私はこれらの言葉を使っていました。今はほめて伸ばす教育が主流だと考えていたからです。しかし、ほめ方によっては、子どもに不安やプレッシャーを与えたり、モチベーションが下がる原因になったりと、さまざまな弊害があるのだそうです。

「ほめる」とは、評価している側の人の主観で相手の善しあしを決めることです。大きく分けて、ほめ方には3種類あります。

①おざなりほめ

 どういうところがどういうふうに良かったのか具体性に欠ける、中身のない表面的なほめ方をする→「すごいね!」「上手!」

②人中心ほめ

 性格・能力・外見といった、表面上の特徴を中心にほめる→「優しいね」「頭がいいいね」「かわいいね」

③プロセスほめ

 努力・家庭・試行錯誤した手順を中心にほめる→「頑張って最後までやりきったね」「失敗してもあきらめなかったね」「いろんな方法を試したね」

この中での正解は「プロセスほめ」です。

 

以下「おざなりほめ」と「人中心ほめ」がNGな4つの理由です。

1.「ほめられ依存症」となる

2.興味を失う

3.チャレンジ精神が低下する

4.モチベーションが低下する

 

3.チャレンジ精神が低下するの例でいうと、私はよく「優しいね」「いい人だね」と言われていました(ごめんなさい、自慢ではないのです…)。それが実は苦しかったりするのです。優しくなければ私のイメージが崩れ、嫌われてしまうとプレッシャーがかかり、いつも多数派の意見を見極め無難な返答をしたり、相手の思いを感じ取り共感するようにしていました。それはものすごく疲れますし、自分の意見を発することが怖くなり、結局は自分の意見なんぞ持たなくなってしまっていました。大人にとってもこのほめ方はナンセンスなのですから、子どもも同じように、またはそれ以上に感じるはずです。

 

「すごいね」とおざなりなほめ方もダメ、人中心に「賢いね」と能力をほめたり「優しいね」と性格をほめたりするのも効果的ではないとすると、いったいどのようなほめ方をしたらよいのか。

ほめ方には3つのポイントがあります。

1.成果よりもプロセス(努力・姿勢・やり方)をほめる

2.もっと具体的にほめる

3.質問する

 

我が家の例を挙げると、娘はお手伝いに積極的です。洗濯物を器用に畳んでくれるので「すごいね!お姉ちゃんだねー」と言っていました。これはおざなり、人中心のほめ方ですね。プロセス中心ですと「自分から挑戦してくれたんだね。取り出しやすいように畳んでくれんだね。おかげで早く終わったよ、ありがとう」「お手伝いで一番頑張ったところはどこかな」という声掛けになります。そうすると、言葉のキャッチボールも増えて、娘もたくさんお話してくれるのです。難しい質問はまだ答えられませんが「ママ、早く終わってよかったねー。お手伝いしたよー」と話す顔は本当に可愛らしいです。

 

この3つのポイントの他に大切なこと、それは

「本来子どもが求めているのは評価ではなく、何かを達成したとき、新しいことを発見したとき、嬉しいことがあったときに、大好きな両親や先生とそれを共有すること」「喜び・興奮・驚きなどといった感情を、大切な人と一緒にわかちあうことで、自分の居場所があるという感覚が生まれ、幸せな気持ちになる」ということです。

 

この本で強く感じたことは、これは子どもだけに通じることだけではない、人として皆が抱いている思いなのだということです。私も「優しいね」とか「いい人だね」って言われたいわけではありません。自分が楽しんでいるときや、嬉しいことがあった時に一緒にその思いを共有してもらえたとき、私だけじゃないんだって、心が通じ合う瞬間はとても幸せだと感じています。それは周囲全員から認められなくていいことだと最近気づきました。自分を大切にしてくれる、自分の大切な人だけに認めてもらえればそれはとても幸せなことです。

 

話は子どもに戻りますが、子どもの世界は狭いです。その世界は親が大部分が示します。その親と感情の共有ができなければ悲しいし、寂しい思いをするでしょう。私は常に子どもの理解者でありながら、子どもをコントロールせず自分で考え、自分で行動できる子に育ってほしいと願っています。そして、自分を大切にできる子であれば、親としてこれ以上の喜びはありません。