読書から、穏やかな心を

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マインドフルネスとは何か

こんにちは、harukaです。

病院で勤務している子育て中のママナースです。

今回はマインドフルネスとは何か、お伝えしていきます。

                      ナース

 

マインドフルネスとは気づき
「今、ここで何をして何を感じているのか気づいていること」

【私の仕事と思考】

看護の現場はバタバタと騒然としています。

「センサーマットが鳴った。早く部屋に駆けつけなければ患者さんは転んでしまうかもしれない」

「医師が来た。指示をもらわなきゃ!」

「あと5分で手術の入室時間。なのにトイレに行きたいと言われてしまった。どうしよう」

「私は16時までの勤務。このままじゃ仕事が終わらない。子どもを迎えにいけない…困ったな…」

 

この状態は忙しさに支配され、気づきが全くない状態なので心が「今、ここ」を離れているときを「マインドレスネス」と言います。

精神科医・医学博士藤井英雄氏は「マインドレスネス」の状態を「自動操縦モード」という言葉を使っています。

自動操縦モードのときには気づきがなく、自分が何をして何を考え、何を感じているか気づいていません。

その結果、心は外界の刺激に反応的になります。

自動操縦のロボットのように主体性を失って操られてしまうのです。

この場合は、本や映画の内容に巻き込まれて一喜一憂するということです。

本や映画なら問題ありません。

それは、本や映画に熱中し、一喜一憂すること自体が目的だからです。

 

しかし、これが仕事や日常生活でのことならどうでしょう。

先ほどの私の仕事中のような思考でいると、

「患者さんが転んだらどうしよう」

「こんなこと報告して医師に怒られたらどうしよう」

「入室時間に間に合わなかったらどうしよう」

「時間内に仕事が終わらない、辛い…」

と常に不安で苛立っていて、ネガティブ感情に支配されています。

自動操縦モードで主体性を失った反応的な生き方では、ネガティブな自動思考に支配されてしまうのです。

 

そこでマインドフルネスです。

マインドフルネスは主体的に生きるのが幸せのコツだと言われています。

 

 

マインドフルネスの起源

むかしむかし。

王の子として生まれたシッダルタは何ひとつ不自由のない生活を送っていました。

しかし彼には悩みがありました。

「いつかは自分も老いるのだろう。病気になり、そして死んでしまう。自分の愛する人もいつかは死ぬだろう。愛する人たちとも別れなくてはならない。それは逃れることはできない運命なのか?」

 

シッダルタは快楽に溺れたり、苦痛で心身を鍛えることもしましたが、それでも不安を打ち消すことができませんでした。

そんな時、シッダルタは「ハッ」と我に返ります。

「思考を観察するつもりで、思考に巻き込まれていた。思考と一体になっていた。思考から距離を置かなければ思考を観察することができない」

シッダルタは自分の思考から距離をとりました。

そして思考を客観視しました。

 

「こんなことしていったい何になるのか」と考えている自分に気づき、

「すべては無駄なことではないのか」と迷って言う自分を客観視しました。

思考は発生し、やがて焦りや不安などの感情も消え、静寂な世界が残りました。

「苦しみは実在しない。苦しみは自分の思考が創り出しているのだ!」

シッダルタは悟り、微笑み、そしてブッタになりました。

 

【マインドフルネスになってみよう】

私は自分で「どうしよう」「辛い」という苦しみを自分で創り出していたことがわかります。

「多重課題で思うように仕事が進まず、不安や焦りで苦しいと感じていた」

と気づくことができれば「マインドフルネス」です。

ネガティブ思考にとらわれていると気づけば一瞬だけ自由になります。

不安や焦りといった苦しみが消えます。

「今日はみんなたくさん仕事を抱えている。忙しいのは当たり前」

             ↓

「まず1つ1つ丁寧にこなしていこう」

「一人で抱え込まず誰かに助けってっていってみよう」

とポジティブに考えるきっかけになっていくのです。

 

マインドフルネスは頑張ってポジティブに考えてみることではありません。

マインドフルネスの結果「今、ここ」で必要のないネガティブ思考やネガティブ感情を手放すことができるのです。

 

     花

 

マインドフルネスについては私も学び始めたばかりです。

このブログは自分の学びを深めるためのアウトプットでもありますが、少しでも自分の持つ知識が、誰かの役に立てたらいいなと思い綴っています。

 

この記事の参考図書